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広島地方裁判所 平成10年(ヨ)113号 決定 1998年5月22日

債権者の表示

別紙債権者目録のとおり(ただし、番号一〇、一三、一八ないし二〇、二三、二八、三一、三二、三八、三九、四一、四二、四五、四七、四八及び五〇を除く。)

右代理人弁護士

津村健太郎

坂本宏一

債務者

広島第一交通株式会社

右代表者代表取締役

白川音芳

右代理人弁護士

国政道明

村上賢一

主文

一  債務者は、債権者金田孝英に対し一三万〇一六八円を、同柳木英明に対し八万円を、同国本哲夫に対し二〇万円を、それぞれ仮に支払え。

二  債務者は、別紙仮払金目録記載の各債権者に対し、平成一〇年五月から本案第一審判決言渡しに至るまで、毎月二八日限り同目録「仮払金」欄記載の金員を仮に支払え。

三  債権者らのその余の申立てを却下する。

四  申立費用は、債務者の負担とする。

理由

第一事案の概要

本件は、債権者らが、使用者である債務者に対し、一方的な賃金体系の変更により賃金を切り下げられたとして、これまでに現実に受領した賃金と従前の賃金体系に基づく賃金との差額及び従前の賃金体系に基づく今後の賃金の仮払いを求めた事案である。

申立ての趣旨及び当事者双方の主張は、本件記録中、債権者ら及び債務者各提出の主張書面のとおりであるから、これらを引用するが、本件の主たる争点は、被保全権利について、債権者らが従前の賃金体系に基づく賃金を請求することが信義則に反するか否かであり、このほか、債務者は、保全の必要性についても争った。

第二当裁判所の判断

一  当事者間に争いのない事実及び疎明資料を総合すれば、次の事実が一応認められる。

1  債権者らは、もと、広電タクシー株式会社(現在の商号は「広電興産株式会社。以下「旧広電タクシー」という。)にタクシー運転手として勤務し、自交総連広島方(ママ)本部広電タクシー労働組合(以下「本件組合」という。)の組合員であったが、旧広電タクシーは、平成九年九月一二日、「広電タクシー株式会社」の商号で債務者を設立した上、同年一一月二六日、監督官庁の認可を得て債務者に対しタクシー部門の営業を譲渡し、さらに、同月三〇日、第一交通産業株式会社に債務者の全株式が譲渡され、これに伴い経営陣が一新された債務者は、同年一二月一日付けで現在の名称に商号を変更した。

2  ところで、旧広電タクシーは、タクシー部門の従業員の月例賃金について、いわゆるA型賃金体系とし、就業規則に基づく賃金規則(ママ)及び労働協約において、基本給、能率給(歩合給)及び休日、時間外等の手当から構成し、算定期間は前月二一日から当月二〇日までで支給日は毎月二八日などと定め、さらに、平成八年度までは、その修正、細部等を本件組合との協定、確認書等により取り決めていた(以下「旧賃金体系」という。)。そして、旧広電タクシーは、以前から、タクシー部門において、赤字経営を続け、ことに、極端には賃金が運収を上回る従業員がいることもあり人件費の負担が八十数パーセントに達していたため、平成八年四月ころから、旧賃金体系の見直しについて、本件組合を含む三つの労働組合と交渉を続けてきたが、旧広電タクシーと本件組合との間では、いわゆる足切額の増額等については妥結したものの、債務者が主張するいわゆるB型賃金体系の導入という抜本的な見直しについては、右営業譲渡に至るまで、ついに妥結することはなかった。しかし、旧広電タクシーは、平成九年一一月二九日、労働組合に対し、右営業譲渡の件を通知するに際し、併せて、従業員は営業譲渡の日をもって債務者に転籍して雇用する、労働条件は現行制度を適用する旨通知した。

3  債務者は、右営業譲渡後、労働組合に対し、タクシー部門の従業員を一旦退職した扱いとして、いわゆるAB型の賃金体系(以下「新賃金体系」という。)等の労働条件の下で再雇用する新方針を伝え、平成九年一二月八日、労働組合の一つである交通労連広電タクシー労働組合とは、新方針について合意に達したが、本件組合は、旧広電タクシーとの団体交渉を主張し、債務者に対しては団体交渉にも応じなかった。しかるに、債務者は、債権者らに対し、平成九年一二月二八日支給の賃金については、旧賃金規定に基づく賃金を支払ったが、平成一〇年一月二八日以降支給の賃金については、あらかじめ新賃金体系の導入を通告した上、新賃金体系に基づく賃金を支払った。

なお、債務者のタクシー部門の従業員が通常の勤務をする限りにおいては、新賃金体系による方が旧賃金体系によるよりも、概ね三割から五割程度、平均約四割減額されることとなる。

4  現在、債務者のタクシー部門の従業員のうち八割を超える者が新賃金体系による就労に同意しており、本件組合の組合員の中にも退職者や新方針に同意した者が少なからず生じてきている。

二  右認定事実によれば、債務者における旧賃金体系から新賃金体系への変更は、就業規則、労働協約等に定められた賃金体系の不利益変更であり、平成九年度及び平成一〇年度については、旧広電タクシーないし債務者と本件組合との間に賃金体系に関する協定等は成立していないものの、賃金体系という労働者にとって重要かつ核心的な権利に関する変更に際しては、平成八年度までの協定等の内容は相当程度尊重されるべきであるし、就業規則及び労働協約の変更については、高度の必要性に基づく合理性が要求されるべきである。

そして、債務者は、債務者の経営状態、本件組合の団体交渉拒否等に照らし、債権者らが旧賃金体系に基づく賃金を請求するのは、信義則に反する旨主張するが、右のような観点から疎明資料をみると、旧広電タクシーにおいては支出に占める人件費の割合が高くそれが経営を圧迫する要因であり、また、本件組合にはいたずらに広電タクシーとの団体交渉に固執している面があるとは言い得るものの、旧広電タクシー及び債務者の全体としての経営努力の内容、程度等は必ずしも明らかではないこと、新賃金体系と旧賃金体系とは平均約四割の大きな格差があること(なお、債務者が主張するように三割程度の一般管理費が不可欠であることを前提としても、ここまで人件費率を抑制する必要性までは疎明がないことになる。)、旧広電タクシーから債務者への営業譲渡後、新賃金体系の導入に至る期間が一か月余りに過ぎないこと等に照らせば、債務者主張事由を考慮に入れても、債権者らが旧賃金体系に基づく賃金を請求することが信義則に反するとは言い難い。

すると、債権者らは、被保全権利として、従前については、新賃金体系によるのと旧賃金体系によると(ママ)の差額の賃金請求権を有し、また、将来に向かっては、平成九年の月額平均賃金と同額の賃金請求権を有するというべきである。

なお、債務者は、将来の賃金仮払いについて、債権者らが今後これまでと同程度に稼働する保証はなく(退職の可能性もある。)、かえって、稼働しなくとも旧賃金体系に基づく高額の賃金が支払われるとなると、勤労意欲が減退する蓋然性が高い旨主張するが、債務者の側に債務不履行があるにもかかわらず、賃金算定方式に歩合制が含まれることを理由として、将来の賃金仮払いを否定するのは適当でなく(通常の賃金仮払仮処分のように固定給の場合と結論を異にすべき理由はない。)、一応合理的な算定方法である平成九年の平均月額賃金による方法により算定された予測賃金について必要性の範囲内で仮払いを命ずることに違法又は不当な点はなく、債務者主張の点は、通常の賃金仮払仮処分の場合と同様に、本案判決、事情変更による保全命令取消し等の法定の手続で是正されるべきものというほかない。

三  進んで、保全の必要性について判断するに、右認定事実のほか、疎明資料に現れた各債権者の新賃金体系に基づき予測される賃金(少なくとも旧賃金体系に基づく予測賃金の五割程度と一応認められ、その範囲内では、債務者からの任意の支払が期待される。)、家族構成、家族の収入、資産、支払家賃、支払ローン、本決定までの生活状況等の諸般の事情、さらには、本案第一審判決までの予想審理期間(二年程度)にかんがみれば、保全の必要性が認められるのは、本決定前までに支給されるべきであった差額賃金(過去の賃金)については、債権者金田孝英につき一三万〇一六八円、同柳木英明につき八万円、同国本哲夫につき二〇万円(疎明資料に照らし、旧賃金体系による賃金の算定方法としては債権者ら主張の方法を相当と認める。)、本決定後に支給されるべき賃金(将来の賃金。債務者からの任意の支払が期待される部分を含む。)については、別紙仮払金目録記載の各債権者について本案第一審判決言渡しまでに支給されるべき同目録「仮払金」欄記載の金額部分とするのが相当である。

なお、債務者は、多くの従業員が新賃金体系により生計を維持しているから、債権者らに保全の必要性がない旨主張するが、これら従業員の家族構成その他の生活状況は不明であり、かつ、疎明資料によれば、これら従業員が新賃金体系に同意した動機には経営者側からの圧力、会社内での孤立化、解雇のリスク等の回避もあったことは想像に難くなく、そのため、これら従業員が一定程度厳しい生活を甘受している可能性も否定できないところ、本件のような賃金仮払仮処分は、特別裕福な生活を送ることはもちろん、必ずしも従前どおりの生活を送ることを保障するものではないものの、かといって、最低限度ぎりぎりの生活が送れればそれで足りるというものでもないから、右事実から直ちに債権者金田孝英、同柳木英明及び同国本哲夫並びに別紙仮払金目録記載の各債権者の保全の必要性を否定することはできない。

四  よって、本件仮処分命令の申立ては主文の限度で理由があるから、事案にかんがみ担保を提供させないで、その限りでこれを認容し、その余は却下することとし、申立費用の負担について民事保全法七条、民事訴訟法六一条、六四条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 畑一郎)

<別紙> 債権者目録

一 遠藤太郎

二 柘植武

三 岡勝弘

四 大上茂基

五 坂口勝

六 千葉勇次

七 前昭信

八 田中昭

九 若林繁

一〇 大庭康弘

一一 貸川敏彦

一二 広畠英之

一三 中川信義

一四 二野下碵章

一五 長見三雄

一六 品川富士男

一七 岡義治

一八 森脇俊行

一九 丸山治明

二〇 上河昭夫

二一 今西誠

二二 河本正

二三 中村彰治

二四 中田伸記

二五 柳木英明

二六 宮原正憲

二七 山王芳雄

二八 佐々木剛

二九 頼本智弘

三〇 岡田定行

三一 中村文聰

三二 池田英男

三三 小川一成

三四 鵜野智之

三五 増田喜信

三六 川本雅宏

三七 重谷俊雄

三八 長野定光

三九 玉理隆司

四〇 国本哲夫

四一 岡政雄

四二 長石禎三

四三 中村勉

四四 沖博

四五 江平秀義

四六 川本徹

四七 伏見幸男

四八 青野敏仁

四九 寺尾敬司

五〇 森田良憲

五一 金田孝英

<別紙>仮払金目録

<省略>

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